こんにちは。
クリスタルショップ風のHIDEKOです。
暖かいですね!
少し前の記事に2月の寒さを耐え抜けば・・・と書きましたけど、全然寒くありませんw
耐えるどころの話じゃなく快適です。更に言えば、楽勝です。
来週後半はまた寒の戻りがあるそうですが、それでももう雪が降るほど冷えることはないでしょうし、最近は毎朝カーテンを開けるたびに季節が確実に春に向かってぐんぐん突き進んでいるように思えて頼もしささえ感じます。
(春に姿形があるならその端っこを掴んで一緒にグーンと突き進みたいくらいです。)
そうそう、つい先日春色が可愛いスイートピーをたくさん買ったんです。
ちょっと変わった形のチューリップやジャスミンの鉢植えなんかも新たなメンバーとして連れて帰ってきました。
なので今リビングはスイートピーの優しい香りでいっぱいです。
みなさん、スイートピーが香るってご存じでしたか?
私はこの年にして気づいたという・・・。うぅ・・。
今までこの”時期限定の香り”をずっと見逃していたんだ・・と思うと、うーん悔しい。
だから今は毎朝大量のスイートピーに鼻をぎゅんと近づけて、吸い込めるだけ吸い込んでそれを満喫してますw
皆さんも季節ごとに広がる”期間限定の香りや色”をぜひ楽しんでください!
さて、今日は「心の声の代弁者」というタイトルで書かせていただきます。
「代弁者」と検索すると、”本人に代わって話をする人” と出てきます。
でも、今日ここでお話したいのは皆さんの代わりに話をする”誰か”ではなくて、皆さん自身が声を上げるということの大切さについて書きたいのです。
本人=自分の正直な心の声 代弁者=その心の声の主
心の声が喜びに溢れているときはいいのです。
誰だってそのときは自然に心の声が表に出ているはずです。
言葉の一つ一つが明るくて、もちろん態度もそうだろうし、きっと絶対満面の笑顔でいるはずだから。
私が気にかけているのはその反対のとき。
心の声が悲しくて苦しくてどうしようもないよと言っているときです。
その声を代弁出来るのはこの世でただ一人。その心を持つその人だけ。
でも多くの人が自分以外の代弁者を見つけたがります。
だけど結局自分以上に自分の気持ちを正確に話せる優秀な代弁者なんかいないから・・結局我慢してしまう。
それじゃ心は痛むばかりですよね。
本当の自分は苦しい、助けてと言っているのに、その自分に向かってそんなの無理だから我慢しろ。
最も信頼できる自分にそう言われているようなものですから。
この状況を想像してみてください。
これほど最悪なことはないと思います。
これでは心の傷も回復しません。
誰かに何か嫌なことを言われたりされたりしたらちゃんと痛かった、苦しかった、悲しかった、と言ってください。
言っていいのです。
勇気を出して自分の気持ちをちゃんと表に出してください。
でも、だって、と駄々をこねるのはおしまいです。
いゃいゃそうじゃないんだ、辛いのはただ自分自身に嫌気がさして人生に希望が持てないからなんだ、というのならそんな現実から抜け出すために立ち上がるべきです。
先ずは立ち上がってください。
立ち上がった後はどうするの?と子供みたいなことを言うのもおしまいです。
あれこれ起きてもいないことをネガティブに考えるよりも先ずは立ち上がる決断をしてください。
実際にその場で立ち上がり、その決意をちゃんと自覚することです。
あなたの本当の気持ちを知っているのはあなただけ。その声に従って動けるのもあなただけなのです。
自分のためにアクションを起こそうと立ち上がったとき、誤解されるかもしれないとか上手くいかないかもしれないといった心配は無用です。
だいたい上手くいくかいかないかなんて誰にもわからないのです。
わからないからやるのです。
現実を見るとか、自分を知るって、そういうことだと思いませんか。
前に進む、現実を変える、成長するって、こういうことの繰り返しの中で成り立っていくのだと私は思っています。
それから、代弁する(自己主張する)にあたってこれは厄介だなと思うことがひとつあります。
それは、相手に悪意がないときや変えようがない状況を前にしたときです。
明らかに悪意なく何の気なしに言った相手の言葉に傷ついてしまったときや変えようがない現実に道をふさがれたとき。
こういうときが一番自分の気持ちに折り合いをつけるのが難しいように思います。
我慢すべきか、アクションを起こすべきか。
私個人的には、こういうときも自分の気持ちはちゃんと言っていいと思っています。(相手がいる場合)
心掛ける点は、冷静にありのままを正直に伝えること。
わかってもらおうとか、相手に反省してもらおうとか、こういえばわかるだろうとか余計なことは考えないことです。
だって相手は意図的にそうしたわけじゃないのだから。(たぶん)
ただありのままを。あの時のあの言葉はきつかったですと。自分の中のモヤモヤが消化できないままなのですと。
そう伝えていいと思います。
関係性が壊れることを気にしているなら、これからも仲良くしていたいから伝えさせてねと最初にそう言ってもいいと思います。
それでも相手がフンといった態度をとったなら「あぁ意図的じゃないと思っていたけど相手の中にはそれに似た気持ちが実は最初からあったんだな。気づかなかっただけで今回のその言葉や態度はその人の正直な部分だったんだな。」って、真実を受け止めたらいいと思います。
冗談とかウソとか誤解ではなかったんだなって。
意外と、どんな些細なことであっても瞬間的に心に何か引っかかるときはやっぱりそこに何かしらの本質が隠れていたりするんじゃないかと思います。私の経験ではそうです。
悪意なく、意図的でもない中で、でもあなたがそこで傷つくとしたら、それはやっぱりその人の(相手側の)考え方やものの見方や人への接し方とかいう部分で何かあなたとは相容れない隔たりがそこにあるんだと気づいていいと思います。
どっちが良いとか悪いとかじゃなくね。
だから、ちゃんと伝えるべきことを伝えた後どうするかはあなた次第でぜんぜんいいのではないでしょうか。
世の中、言わなきゃ伝わらないこと。聞かなきゃわからないことがたくさんあります。
いゃ、ありすぎます。そっちのほうがスタンダードなんじゃないでしょうか。
言わなくてもわかるでしょ、という考え方もどこか自分勝手で、ちょっと乱暴で、正直なコミュニケーションとは程遠い気がします。
あ、それから、変えようがない現実への対処法ですが、変えられない現実にいつまでも拘って大切な心を抉られるくらいなら私だったらその場から離れます。組織とか決まったシステムとか、どうしようもできないことってあると思うんです。
でも自分のことならどうにでもできます。
その場から立ち去る(方向転換できる)足があって、もう関わらない!という意思決定ができる自分がいるのならそっちにフォーカスします。動かない現実社会よりフットワーク軽く自由に動ける私たちの方が全然強いんだぞと思ってください。
はてさて、何だか今日も長々と書いてしまいました。最後まで読んでくださった皆さまありがとうございます。
最後に・・・
心が悲鳴を上げそうになったら ”私の心の声の代弁者は私だ。私はいつだってここにいる”と、声に出して言ってみてください。
自分の中で何かがカチッと音を立てて変わる瞬間がわかると思います。
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