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見ている世界

今年もあと10日程となりました。

窓を洗ったり、昨日は伊勢神宮に恒例のご挨拶に伺ったり、それでもまだまだ用事はあってあれもこれも今年中に〜!と気ばかり焦って過ごしています。

年を越してしまえばなんてことない いつもの自分 と いつもの日常 だというのに・・・(笑)

 

気持ちって不思議ですね。

 

拘ればとことん拘れるし、気にしなければたとえ嫌な何かが目の前に置かれていたとしてもぜんぜんそんなもの目に入らない。

そう考えると自分が見ている世界は隣の人が見ている世界とはまるで違うんだろうなと。

ときどき本当に本気で隣の人はどんな世界を見ているんだろうと興味津々になります。

 

昨日の伊勢神宮でもちょっと思うことがありました。

 

平日とはいえ、やはりそこそこ混んでいました。

二拝二拍手一拝が礼儀。となると前の人から順番にお参りし、自分の番が来るまでそこそこ時間がかかります。

それが待てない人は、いよいよ神前に進み列が崩れる頃を見計らってスーッと割り込んできたりします。

(必ずどこにでもそういう人はいらっしゃいます。)

 

で、割り込むのは別にいいと思うのです。ただ・・・

エヘっとちょっと恥ずかしそうに顔を歪めてさっと列の途中に割り込み、いざお賽銭を入れて二拝(ここまでは普通)

なのに!なのにですよ!

いざ二拍手!ってときに、

 

その柏手がちっちゃいんです。もう本当に聞こえるか聞こえないかくらい小さい。

 

なんだかんだと堂々と列に割り込んだのですから、もういっそ遠慮などせず、目立つくらいにパンパンと!!

 

ちょっとちょっとー!と本当にツッコミを入れたいくらいでした。

 

せっかく神様の前に立ったのですから胸を張ってご挨拶してほしいです。

背中を丸め、小さくお参りしては意味がないでしょうに。

 

今回、二組の年配のご夫婦がそうでした。

どちらもお母さんが強い(笑)

割り込んで、そこにお父さんを自分の前に入れて、二人で縦に並んでいざ参拝。

揃って柏手。←さすがタイミング合っている。

 

でも、かするような小さな柏手なのでした(残念)

ご利益がありますように。

 

それから、今回は山伏のような格好の、修験者風の方が内宮正宮の前でとてもとても大きな声で祝詞をあげていらっしゃいました。

周りの人たちの反応はそれぞれでしたが、中にはその方に向かって手を合わせている方もいらっしゃいました。

きっと有難くなってしまったのでしょうね。

 

皆さんにも経験があると思いますが、神事をされている方が本物だと、そういう方の祝詞は聞いていて体に響きますよね。

なんて言えばいいか・・・本当に清らかで、芯がある。聞いていてこちらの心が洗われるような迫力と慈しみを感じます。

でも昨日の方に私はそれを感じることできませんでした。

 

有難そうに見つめる方たちを見て、私はちょっと思いました。

もしかしたら目を瞑って、心だけでそれを聞いたなら、清らかな水がそこに存在しているかどうかその場にいるすべての方がちゃんと理解できたのではないかと。

しかし、目から飛び込んでくる情報だけに惑わされてしまうと「修験者=祝詞=ありがたい」という感じになってしまうのかもしれません・・・

何が本当で何が本当じゃないのか・・・視覚だけで捉えると間違えます。

 

一人ひとり、見ている世界が違うというのはこうした時にも言えることだなと思います。

 

HIDEKO

 

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